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高校中退の元ニート野郎のつぶやき

【自分史】僕が高校中退した理由とは

僕は高校中退しています。

その後は、大学入学資格検定、略して大検(今でいう高等学校卒業程度認定試験)を受験し合格。大学に入学しました。

 

高校を中退した理由は、よくある話です。

クラスメートとの人間関係、部活動、勉強、それら全てが上手くいかなかったです。

目次

いじめられてはないけれど…

思えば中学の頃からそうだったんですが、なめられないように、いじめられないように自分を強く演じていました。

具体的には、意味なく相手の胸ぐらをつかむ。返事が「あぁ?!」と威圧的な態度。

とにかく周りにキツくあたっていました。

僕はそれが強いと思っていました。それで僕はやっていけると思っていました。


話は変わりますが、僕は一部の女子グループから「キモいキモい」と言われるようになりました。
女子にキモいと言われることは、高校生には死刑宣告に近い。一気に噂は広まるから。

会ったことも話したこともない女子に「ほらあいつマジでキモいよね〜」そんな陰口を叩かれる日々。僕のイライラはドンドン蓄積されていきました。

 

そうなると、もともとの威圧的な態度が助長され、僕はさらに、周りにキツく当たるようになりました。

そして僕は、どんどん孤独になっていきました。

今になって思えば、完全な独り相撲。勝手にイライラして周りに当り散らしていただけです。

 

そうなると当然、人間関係が上手くいくはずもありません。

仲良くしてくれるグループはありましたが、一部とは絶えず衝突。

中でもその一つのグループは、あるキッカケで距離を置かれるようになりました。

 

僕は、自分の話ができない

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ある日、ぼくは彼らと放課後サッカーをしていました。彼らとサッカーしたり、体育館へ行って卓球したりするのが日課でした。

遊び疲れた僕らは、グラウンドに座って休んでいました。そこで誰からとも無く「好きな人を言い合おうよ」という話になりました。

まあ高校生ならよくある話です。


僕は、誰が誰を好きかなんてどうでもよかったんです。

それ以上に怖いのが「葵は誰が好きなの?」と聞かれることでした。

なぜなら僕は、自分のことを話すのが、極端に苦手です。

好きな人は確かにいたのですが、なぜかそれが言えないんです。

個人的な話や、「俺はこう思う」という自己主張が苦手な男なんです。それは30過ぎた今でも同じ。

 

友人たちは「俺は誰々ちゃんが好き」「えぇーそうなんだ」などと勝手に盛り上がっています。わかっていた最悪の瞬間が来ました。

「葵は誰が好きなの?」

「・・・いない」

友人たちは「なんでお前だけ言わないんだよ」と憤慨。

これで関係が終わりました。

 

今になると、取るに足らないことです。

本当に、どうってことない。

 

学校ってなんで行くんだっけ?

人間関係がダメなら、勉強に打ち込もうと思いました。

僕が通っていた高校は、市の中でもかなり下のランクの学力。少し勉強すれば簡単にトップレベルになれると過信していました。

 

結果は、360人中100番も切れなかった。100~150番台をウロウロするような成績でした。
それが僕の中では、納得いきませんでした。

ここで奮起して、もっと頑張ればよかったんですが、当時の僕には、そんな気概もなく「できないんだったら、じゃあやーめた」ってなりました。


部活動もサッカー部に入りましたが、練習に付いていけず、1か月ほどで退部。

人間関係もダメ、勉強もダメ、部活動もダメ。

こうなると、学校に行く理由がないんです。

学校に行く理由なんて、大概この3つではないでしょうか。

そして僕は、学校に行かなくなりました。

 

100点取らなきゃ意味がない?

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高校時代の僕は安易な考えでした。

学生だからということもあるのでしょうが、学校という場所が、世界のすべてのように感じていました。

 

なぜなら、学校にいかなくなった自分を認められなかったんです。周りと比べて自分は、ダメな人間だと思っていました。

いま思えば、学校が世界のすべてという発想は無論ありません。

ですが、学校以外の居場所がない僕には、学校こそが自分のアイデンティティであり、学生の自分が全てでした。


だから学校に行かない僕は廃人同然。

毎日ゲームして、アダルトビデオを見て、犬の散歩をして、ご飯を食べて寝て、また起きてという繰り返し。

ただ息をしているだけの廃人と化していました。

 

以前、引きこもりや不登校児は、100点を求める真面目な人が多いと聞いたことがありますが、僕もそうだった思います。

100点を求める、というのはどういうことかというと、上手く手を抜けない人をいいます。

 

僕の場合は、勉強も100点、部活も100点、人間関係も常に100点を求め、全力でぶつかるし、結果も求める。

バランスよく「80点くらいでいいじゃないか」と思えればいいのでしょうが、それができない。

適当にサボることが出来ない。自分が関わるすべてに全力でぶつかりました。

 

30過ぎた今となっては、全部に全力を尽くしても、すべて良い結果が出るとは限らないことはわかる。

特に、人間関係は相手がいるものだから、自分が頑張っても良い結果になるかどうかは、相手にゆだねられることもあります。


高校生の僕は、それがわかっていなかった。とにかく全力。勉強も人間関係も、全てに100%を求めて走っていた。

そして、次々に上手くいかなくなり、僕は壊れた。

 

高校中退は、人生が動くキッカケになった

100点を求める人間が一度「もうどうでもいい」と思ってしまうと極端です。

「100じゃないと価値がない。学校では100点取れないんだ。じゃあもう行く価値がない。やめよう」

そう、100か0か、両極端しかなかった。

 

そもそも、人生における100点なんて誰が決めるかって、自分しかいません。

ここで僕のいう人生の100点は、自分の満足度と置き換えることができるでしょう。

自分が満足できれば100点、できないと0点。

 

僕の場合、求めるハードルが高すぎましたね。

 

当時は、高校中退を選んだ自分を恥じていました。

「同級生たちと比べてオレなんて…」

そんな風に思っていました。

 

でも、この選択をしたことで、僕の人生が動き出したことは、間違いなかったです。

続きは下記に書いています。 

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